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バッド・タイミング

よりによって・・・
タイミングの悪さに、ため息が出る。
誰のせいでも、何のせいでもなく、ただただ、そういうタイミングだったのだけど。
それにしても、なんというか。

今一番会いたくない二人に鉢合わせ。
50メートル手前の時点で、「もしや」と思ったものの、そこで引き返す勇気はなく。
ホントどうよ、この運の悪さ。

挨拶もそこそこに通り過ぎようと、ただでさえ早足のところが更に早足になって。
失礼なのは百も承知。
それでも、ニッコリと心からの笑顔でエンターテインする気分には、今は到底なれないよ。

案の定引き止められ、紹介され、握手を交わす。
準備不足の心がそのまま映し出されたような、心のこもっていない形だけの笑顔と握手。

今の自分のキャパシティでは、他にやりようがなかったとはいえ、強烈な自己嫌悪。

きっとあれが最後だったのだろう。
あんな最後が用意されてると知っていたら、そんな最後なんて、こちらから願い下げだったというのに。
by kumamode  at 17:58 |  フィリピンにて |  comment (1)  |  trackback (0)  |  page top ↑

1年2室

タイから遊びに来てくれていた友人が帰国。

高校1年の時の同級生である彼とは、「話したことあったっけ?」と互いに言っちゃうくらいの関係で、在学中も親しくなければ、卒業後の同窓会で顔を合わせて挨拶しただろう一件を除いては、互いに連絡を取ることも、近況を知ることもなく。数年前、某SNSを通じて再度繋がってはみたものの、他の多くの旧い知り合い同様、そこからすぐに何か始まることもなく。

そんな訳なので、基本「15の頃」以来の再会は、かなりのインパクトがありました。だってさ、あの頃から「倍」の時間が過ぎてるわけで。

***

初っ端から遅刻をかました私を迎えてくれたのは、古い記憶そのままの友人の姿。妙な気分半分に、安心感半分。彼の滞在中、お茶や食事や観光やら、一緒にさせてもらったのだけど(※しかもかなりの割合で奢ってもらっておりました。ホントありがとう。「熊本人」というか、特に高校の同級生は、太っ腹というのかな、こちらの懐具合を察しながら、サラリと嫌味ゼロでご馳走してくれる人が多いと思う!)、同郷・旧友っていいもんですね。

高校の同級生たちの近況、高校時代のコイバナ、高校卒業後〜現在のブリーフィング、恋愛・結婚・人生について、熊本の未来…、そんなこんなを、思いつくままに話をしたのだけど、一定のバックグランドを共有しているという事実(今回で言えば、同じ熊本に生まれ育ち、同じ高校で同じ時を3年間過ごしたこと)は、人生を振り返ると「たったそれだけ」の共通項に過ぎないのかもしれないけれど、とてつもなく大きなものとして実感されました。現在同じく日本の外に住んでいる、というのも大きなファクターかもしれないけどね。

「あの頃」と「今」を、「私」と「友人」を、会話の中、独りの時間、意識が絶えず行ったり来たりした数日間。変わったところ、変わらないところ、良いところ、悪いところ、そんな色んなことが、頭の中に浮かんでは消える。

「白黒はっきりしていて、思ったことはきちんと口に出して、正義感が強い」と、友人は私をそうdescribeする。そして彼自身もそうだろう、と。そうなのかもしれないな。「良い悪いは置いといて」と友人が言ったように。

***

友人のフィリピンに対する印象は、「V字型」にうまく着地。空港からの最後の電話、「今回akiちゃんが居てくれてよかったよ。フィリピン、良かった。良いところに住んでるよ。また来たい。また来るよ。」そんな言葉を耳にして、心がほのかに温かくなる。

来てくれてありがとう。また是非近いうちに、ここフィリピンで。
「1年2室」の皆さん、「士君子」な皆さんも、是非一度。
by kumamode  at 03:38 |  フィリピンにて |  comment (8)  |  trackback (0)  |  page top ↑

what is true friendship?

西日の照りつける遅い午後、予期しない突然の訪問客。相手がわざわざ寮まで足を運んだ理由、それは聞かずとも分かっていた。ただ一点、事態の収拾。

場所が場所なこともあって、通りかかったドームメイツに度々話を中断されつつも、話し合うこと5時間超。急な話だったし、正直考えることにも疲れ果てていたし、冷静というか、ほぼ無感情な状態だったにも関わらず、気が付けば涙が零れ落ちていた。文字通り、ポロポロと。二人の間のあまりに異なるロジックとパースペクティブに、言いたいことの伝わらない歯痒さに、この場に及んでも「言い訳」で丸め込もうとする相手の弱さや不誠実さに、それが通用するだろうと思っている相手の愚かさに、言葉とは裏腹の怯えたようなその表情に、そして何の答えも出せない自分自身に。涙の理由は、そんなところだろうか。

これ以上、相手に「嘘」や「言い訳」の上塗りはして欲しくなかった。この耳でそれを聞いてしまったら、それで終わりだと思った。最後の最後で、相手に幻滅したくはなかった。だから、私の知り得ることは全て話した。時にそれが相手の話の腰を折ろうとも。

長所でもあり短所でもあるのだけれど、私の「直感・直観」は先ず大きく外れることはなくて。もちろんその「直感・直観」で相手の考えが全て分かるわけもないけれど、相手がどれだけ「誠実」に「正直」に向かい合おうとしているか、少なくともそれくらいは分かるから。

いみじくも相手は言った。彼にとって私は「唯一反応の予期できない人」だと。彼のやり方が通用しない人だと。これまでの人生に居なかった人だと。他の友人たちとは異なるコミュニケーションスタイルだと。真実だと思う。これまで彼が関わってきた人たちは、一方で彼の「操作可能な」人たちで、他方で「問題が生じても互いに気にしない程度」の人たちだっただろうから。「親友はいない」と、そう公言できちゃう人だもの。

私のように「良いも悪いも全て知りたいと思う人」と、彼のように「不必要だと自分が思う情報は相手に伝えない人」は、例えば、不治の病に侵されている私が、病名や病状を詳細に知りたいと思う一方で、一足先に聞かされた彼の方は、真実を伝えることは私に不利益だと口を閉ざす、といったもの。不意に出たそんな話に、二人とも妙に合点がいく。

数時間に及んだ彼からの説明が全て真実かどうか、私には分からない。そして、分かる必要はないと思う。それよりも大事なのは、相手がどれだけ真剣に誠実に、この状況に立ち向かおうとしているかどうか、だったから。

相手にとって私が、重要な人物で、数少ない近しい友人のひとりだという言葉に、嘘はないと思ってる。音信不通だった1ヶ月余りの間、本気で彼を心配していたのは、家族や恋人以外には、同じアフリカ出身の友人男性と私だけだと思うとの言葉も、きっと本心なのだろう。自己保身や他人からの評判を第一義的に考えた結果がこの状況で、それが私を傷つけることになろうとは考えてもみなくて、自分のしたことは間違っていたと、それも心からの言葉だと思う。

今の君は僕から「君のことをを嫌いだ」との言葉だけを欲しがっているようだけど、それは違うと彼は言う。どれだけ間違っていようと、彼の行動に悪意は微塵もなかったと。

まるで着陸点の見えない話し合い。これ以上話をしても…と、そうお互いに思っていたであろう頃、「今のこの状況を立て直すのに、自分にも責任があると思う?」と聞かれた。「あるだろうけれど、それが何かは分からない」、私はそう答えた。

「僕に、○○、頑張ったね、と言って欲しい」と彼。「何のため?あなたを慰めるため?」との問いに、「自分の気持ちを落ち着かせるため」と彼は言う。出来るものか。「ごめん、無理。 その言葉が欲しいなら、別の人にお願いして」と苦笑いで返すしかない私。この場も結局は自己満足なのか。最後の最後で情けなくなってくる。一方で、意固地な自分にも泣けてくる。「言ってあげられたらなって思うよ。でも私、意地悪だから。そこまで親切にはなれないよ。ごめん」

友情は相互的なものだと彼は言う。だから私からも、前向きな姿勢とか、努力とか、そういう「お返し」が欲しいと。先の「責任」とか「頑張ったね」も、その流れでのことらしい。「君は僕がここに来たこと、その一点だけにしか感謝の念を持ってくれないんだね」と悲しそうに言う。

「ごめん。今は何も約束できないよ。出来たらいいんだけど、出来ない。」 

おそらく彼は、和解できると信じてやって来たのだと思う。それくらい絶望的というか、悲しそうな顔をして帰っていった。私だって、「無理」だと決めたわけじゃない。ただ、今は何も決められない。「あとはakiko次第だよ」と、悲しそうに繰り返していたけれど、その通りだと分かっている。

ただ、もう少しだけ、時間が欲しい。
by kumamode  at 07:01 |  フィリピンにて |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

My friend is back!

友人が戻ってきた。もうかれこれ4年の付き合い。「帰ってきたよ」の声に心が躍る。嬉しい。とりあえず、積もり積もった四方山話を。週末が楽しみだ。
by kumamode  at 00:00 |  フィリピンにて |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

沈黙と裏テーマ

「沈黙」がキーワードの2ヶ月余り。度を過ぎた沈黙は害に他ならないと、自戒を込めて思う今。心当たりのある方々、まずはこの場を借りて一言、ごめんなさい。

***

ドームメイツの帰国ラッシュ。親しくさせてもらった日本人のみんなも、一人また一人と帰国の途へ。手元に残るのは、そんなみんなから最後にもらった、パーソナルな「手紙」たち。

「Ate Akiko」で始まるメッセージは、どれも一様に暖かく、そして少しだけ切なく。

10くらい年下の子たちから見た私は、「20代半ばに見えて、話しやすく、(特にお酒の席で)面白く、おちゃめで、だけど現実的で、影ながらみんなをサポートし、何かの際には助け舟を出す、頼れる、その場にいるだけで安心させてくれる存在」、なんだそうだ。5、6歳若く見えるのは、「きっと年を感じさせないくらいのエネルギーと若々しさで満たされてるんですね」との言葉、そうポジティブに見てくれていたとは。すごく勇気になる。

「自慢の先輩」、「Ateみたいになりたい」、そして、フィリピンにて初めて出会った「ギャル」からの、「Ateみたいな女性になりたい!」との言葉には正直ビックリしてしまったけれど、(お世辞半分とはいえ)みんなからのハートフルな言葉に、心から感謝しています。ちょっと落ち着いたら、一つ一つ、お礼を書かないと。気長に待っていて下さい。

***

この2ヶ月、公私共々「これでもか!」と畳み掛けるように事件(というほどのこともないけれど)が勃発し、文字通り凹み通しでした。「一人で抱え込みすぎること」、「何でも一人でどうにかしようとすること」、すなわち、人に寄りかかったり、人の意見に耳を傾けることが苦手なところ、それが私の長年の短所であり弱点なのだけど、おそらく神様は、私の身の回りに小さな事件をいくつも起こすことによって、「少しは学んだらどうだ!」と言ってるんだと思う。

ちょっと辺りを見回せば、寄りかかれる場所は実はいくつもあって。助けてくれた人、本当にありがとう。暖かい言葉も、時に厳しい言葉も、私のことを思いやってくれているからこそ。そんな当たり前のことを深く実感する。

***

昨夜ふと気づくことがあって。ここフィリピンで生活しているこの数年の「裏テーマ」というか、意識下に流れている「使命」というか、そういったものの存在に。そしてそれが何やら「宗教」や、「スピリチュアリティ」や、「己の在り方」に関わっているようで。

言い換えるならば、「この世に生を受けた一人の人間として、どのような価値観の元にどのような人間として、自らの人生を築いていくか」という命題に答えていくこと、それがこの数年の大きなテーマとして、何かしら大きな存在から、私にこっそりと与えられているような、そんな気がしている。

大いなる者をひたすらに信じている人たちにとって、私のような存在は不可思議で、時に脅威とさえ映ることを知ったのは、ここに来てからのこと。もちろんその見方には、「しっかり者で自信に満ち溢れている」という外的イメージと、「日々葛藤で今にも崩れ落ちてしまいそうだ」という自己イメージの間の大きなギャップの存在が背景としてあるのだけども。

ただそのギャップが仮に無いとしても、「弱さや葛藤やそれらを当然のこととして全部ひっくるめて背中にしょって生きていくこと」、そう言葉にはしないながらも心の内に抱いていること、それが時に「強さ」と映り、「脅威」になるのかな、そんなことを思うのです。

そんなことを思うのも、こちらに来てから出会った「キーパーソン(2名)」に、とある共通項を発見したからなのだけど。

***

と、久しぶりの「ひとりごと」でしたが、私にとって、「書くこと」は「癒し」のようです。大事だね、こういう時間。
by kumamode  at 01:42 |  フィリピンにて |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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